寄稿 木曽駒ヶ岳秋山山行報告  (文・写真 谷路 一昭)  
 
 10月6日
 福光インターから高山、平湯、安房トンネル、奈川渡から26号線で境峠へ、最初の分水嶺を越える。
 少し下ると駒ケ岳が見え、なお下ると左手に味噌川ダム、その上流は木曽川源流地帯になる。
 藪原で19号線に入り直ぐに第二の分水嶺鳥居峠、今は直下のトンネルを抜ける。
 左に奈良井宿を見て山あいの木曽路と別れ洗馬へ、奈良井川を渡り本洗馬へ、
 案内表示を見て直交する細道を山側に走れば山際に釜井庵がある。

 
 
 天明3年春30歳の菅江真澄(その頃は白井秀雄)は三州街道をゆるゆると歩き
 洗馬に来てここ釜井庵を拠点とし滞在は1年余りに及んだ。
 漂泊者真澄はこの地が気に入り地元の文人達と交流を楽しみ精力的に近在を歩いた。
 委寧能の中路、わがこころ、すわの海、来目路濃橋が現代口語訳 信濃古典読み物叢書 “菅江真澄信濃の旅”
 として出版されている。日記だが200年前の信州の風景、庶民の情景、祭礼などが活写されていて面白い。
 庵は雨戸が閉められ内部は見えず周りを一周する。
 桜の木が大きくなり草葺の屋根の上にかぶさっている。
 庵の軒先に吊るした七夕の人形飾りの真澄の絵に当時の生活風情が伝わってくる。
 横に建つ本洗馬歴史の資料館建(平成10年完成)は金土日開館、
 畑仕事をしている老人に話しかけるとせっかく遠くから来てくれたのだから中を見なさいと言う。
 すぐ上の家に住んでいて鍵を持っているとのこと、好意に甘え30分ほど見学させてもらう。
 真澄の資料、郷土の偉人、洗馬焼や塩尻の焼き物等が展示してあり時間あれば
 じっくり見るのだが先を急ぐ身、お礼を述べて出発する。
    
真澄が印象深く歩いた桔梗が原は現代では面影を忍ぶのは難しそう。
 塩尻から153号線三州街道に入り低い山並みの切れたところが善知鳥峠、今日三回目の分水嶺。
 車を停めて周辺を一回り、山の斜面から水がコボコボ湧き出し2,3坪ほどの溜まりを作り二つの流れに分けている。
 広々とした伊那路に入る。箕輪あたりから夕陽を浴びた南アルプスが見え出す。
 南アはなじみ少なく山名が判らない。仙丈岳あたりだろうか。
 右岸からは南アの景観、左岸からは中央アルプスの山塊を楽しめる。
 駒ケ根高原に着いたら暗くなった。別荘地や高原は初めての場合夜になると場所がよくわからない。
 一回り二回り、土産物店で訪ねてなんとかYH宿に着く。
 山の高みの明かりはロープウエイ横の千畳敷ホテルのようだ。
 高速道インター近くの明治亭で名物のソーストンカツを食べる。
 並みだがボリューム満点、やっと平らげたがトンカツはしばらく見たくない。宿に戻り早々に就寝。

 10月8日
 5時半宿を出てバスセンター駐車場に入るとチケット売り場とバス乗り場には長い行列。
 今日は快晴、こちらは台風の影響はなかったようだ。
 2台目のバスに乗りしらび平へ、接続するロープウエイで千畳敷駅へ、
 花崗岩の明るい山肌にガスがまとわり、眼下の渓は見事な滝が連続している。
 今年の紅葉は期待できないようだ。終点は2612m、屋外に出て雲海の上に連なる南アルプスの山並み、
 その奥の富士山にあちこちから歓声があがる。雲海の下伊那谷に天竜川が光っている。
 千畳敷カールを時計回りに半周して一休み、おにぎりとサンドイッチで朝食。
 宝剣岳がかぶさるように聳え立ちふり向けば南アの山並み、空は秋らしい澄んだ蒼穹、
 なんとも気分の良い登山道だ。八丁坂の最後の急坂を越えれば乗越浄土。
 宝剣山荘前で小休止、息を整えてから中岳に登る。御嶽山がどっしりと構えている。
 駒ケ岳頂上山荘前で一休み、元気な高齢者たちが通り過ぎる。
 風が冷たく尾山氏は防寒具を着込んでいる。最後のひと登りで頂上着。
 御嶽山、乗鞍から穂高、槍ヶ岳、北アルプス北方、少し離れて焼山、火打山、妙高の頸城山塊、
 上州の山々、八ヶ岳山塊、その間に遠くに見えるは秩父の山々か?
 そして南アルプス、左手のピラミッドは甲斐駒ケ岳らしい。
 宝剣岳から空木岳へと中央アルプスの山並みがうねるように連なる。
 白山は御嶽山の背後か、地図を見ると駒ケ岳―御嶽山―白山と一直線に並んでいる。
 雲海の上に連なる山並みを見ていると中部日本の屋根の上に登っているような気分になる。
 ひとしきり360度の風景を楽しみ風のない木曽谷側の岩陰に座る。
 尾山氏はザックからガスバーナーを取り出し湯を沸かしコーヒーを入れる。眼下に木曽駒高原が見える。
 8年前の秋思い立って飛騨川を下り河合町で木曽川との合流地点を見て八百津町に入り杉原千畝記念館を訪問、
 木曽川を遡り木祖村奥木曾湖から鉢盛山の源流地帯を臨んだことがある。
 両河川は多くのダムが流れを堰き止め、死に水に腐臭漂う巨大な水溜まりと化し、
 勇壮な中乗りさん達の活躍した川は遠い昔話になった。
 その年の春にドイツを旅行してライン川、モーゼル川の合流地点コブレンツに泊まり合流地点の
 ドイチエスエックで見事なモニュメントを見て2000年の歴史と文明を想い、
 さてこの国では如何?と多少の期待もあったが草藪と畑ぐらいで何もなく、
 すぐ下流に堰堤があり相変わらず水が淀んでいた。
 土建国家は利権以外は無関心と見える。
 木曾福島で別荘地やゴルフ場、キャンプ場がある木曽駒高原をひと廻りし頭上を見上げると山頂が雪で白く、
 あああれが木曾駒かと思った。
 4年前夏御嶽山に登り、木曾谷を隔てて中央アルプスの山並みが連なっているのが見えた。
 以来縁あれば木曾駒ケ岳に登りたいと思った。
 ロープウエイでカールまで登り、そこからは初心者並みのコースで比較的登り易い山だが
 金沢から一人で運転して行くのは少々気が物憂い。
 幸い同行者ができたので今回やっと念願がかなった。
 満ち足りた気分でゆっくり下山。中岳の登りは敬遠して巻き道を歩く。
 右側が切れ落ちた岩場の道を高齢者夫婦が慎重に足を運ぶ。
 宝剣山荘前で一休み、八丁坂を下る前に伊那前岳の心地よい稜線歩きを楽しむ。
 雲の下に伊那谷が広がっている。標高1000mの諏訪湖、
 天から流れ落ちる川は谷を潤しきままに蛇行を繰り返し峡谷を縫い平野部に出て駿河湾に入る。
 ひとたび大洪水となれば雷鳴轟き両アルプスから一気に流れ落ちる支流をかき集め、
 荒れ狂いのたうちまわり激流となって大海に突っ込む。
 海底に雌伏して時を待ちある日雲と風を呼び竜巻を起こし天に駆け昇る。
 遠い昔から幾度となく繰り返して来た暴れ天竜川。
 稜線を後に八丁坂をゆっくり下る。カールの遊歩道近くで尾山氏が追いつく。
 宝剣岳頂上は順番待ち頂上にタッチして降りて来たという。剣ガ池を廻る。
 写真愛好家のグループが高級カメラを持って撮影している。池を入れた構図は定番らしい。
 最後のひと登りでロープウエイ駅へ、
 今日は大勢の人が登っているので早めの下山をしてくれとアナウンスしている。
 4回ほど待って乗車、一気にしらび平へ、バスに乗り継ぎ駒ケ根高原バスセンター到着。
 一休みして土産物店をのぞきリンゴソフトを舐める。
 駒ケ根インターから中央道に入り伊那で降り361号線を走る。
 分水嶺直下権兵衛トンネルを抜ければ奈良井川、続いて分水嶺姥神トンネルを抜けて木曽川へ、
 木曾福島から開田高原、長峰峠を越えて飛騨高根村、
 41号線今日最後の分水嶺宮峠を越えれば飛騨一ノ宮水無神社、静かな境内に入り参拝、2日間の無事と好天を謝す。
 高山から高速道で金沢に帰る。
   本サイトに記載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します 
 Copyright (C) 2014 Ishikawa Section of the Japanese Alpine Club. All Rights Reserved.